Low Fantasy──恋人に死なれる女がたどり着いた結論とは
また恋人が死んだ! つきあっては死なれ、つきあっては死なれをくり返す恋多き女の前に魔女が現れ、鏡を見せられた。学生時代の親友から電話があり、不幸を呼ぶ女は自らの恐ろしさに愕然! そして鏡が全てを終わらせる。
死んだ。私の首すじに蒼い血を吐いた。
私が魔女から魔法の鏡を突きつけられる三日前の朝、彼は私を抱きしめたまま沈鬱で息苦しい世界に別れを告げた。死因は突発性の何か、多分。
「うぐっ、俺……、やばい」
「え、私? 私が悪かったよね?」
「──違う、ゔ」
これでまた一人恋人を失った私を気味悪がり嫌悪する声があるのは知っている。男たちは危険な女に近づくなと笑い合い、「丙午」という言葉も聞いた。ヒノエウマ。調べたら生まれ年を気にする迷信で、別の午年生まれの私は迷信が本当でも男を食い殺してなどいない。最近耳元で囁かれた「黒魔術」も知らない。四人も死んだからと私のせいにされてはこっちが生きていけないではないか。
四人──、四。四、4、Ⅳ、幸運か不吉なのか分からない。魔女と出会ったから不吉──いや魔女は西洋の俗信であり、あちらでは四は幸運。唐突ながらここで宣言する。これから先何度大切な人の死に立ち会わされようと、私は次の男に手を伸ばし続けるだろう。女として当然の欲求、違う?
しかしその時々で最大限に身も心も委ねてきた恋人に四人も死なれては、受け入れる私に変化が起きても仕方がない。何と私は地獄をくり返した末に恋人の喪失を乗り越えられる人間になってしまったのだ。毎度吐くほどに絶望させられはしたけれど、四人目となった今回蒼い血を思い出して泣いたのはたったの三日間、四日目──ああまた「四」だ──が訪れた昨日は魔女が現れるまで白熱するカーリング中継に心を奪われていた。
「心……って、どこ? 教えて──」
蒼いシャツの胸をかきむしる右手、孤独な唇からつぶやきがもれる。真剣勝負に奪われた〝心という臓器〟は身体のどこにあるのか、精神科医はどう考えてる? 臨床心理士、心療内科医は? 魔女はどう──待て、待った。おかしい。普通泣く時は二人の幸せな色を思い浮かべて涙を消化するものだし、意中のチームが追い上げる熱い展開は半年前の再放送、私は延長戦まで気がつかなかった。これではまだ四人目の恋人の喪失を乗り越えたとはいえないのではないだろうか。
実は、私が恋人を失うのは彼で五人目だった。最初の男と知り合ったのは陽射しの強いテニスコート、二人目は大学裏の喫茶店で意気投合して次の男には繁華街でナンパされ、停電した街で腕を引っ張ったのが四人目。最後は闇のはびこるインターネットの片隅と、出会いはどんどん暗くなっていった。十代まで全く男を知らなかった私も今や恋多き女と呼ばれるが、問題は恋への落ちやすさよりすぐに失ってしまうこと。ただし三人目につきあったナンパ男だけは死なずに憎み合って交際を終了させていた。
──おまえってさ、俺が他の女に手え出したらねちねち不満言うタイプじゃね?
私の愛を踏みにじる浮気男、全て明らかになってみれば私こそが〝浮気〟だった。あんな卑劣な奴は死のうが生きようが関係ない、ところで魔女である。昨日私の安普請アパートに現れたのだ。
「だっ、誰……?」
「ふふふ、おまえには魔女に見えるかい?」
魔女って何だ。考えるより先に全身がこわばりだし、両手のひらが汗を握る。うなるような声で訊き返した小柄な女は薄汚れた蒼いマントを頭から羽織り、顔を隠し気味の風貌は母方の祖母とどこか似ていた。
魔女なんか──、いない。
紫の髪としみだらけの白い肌をまとい、狭く暗い玄関で高い鼻ばかり目立つ自称魔女の女。どんな魔法を使うつもり? 私はご無沙汰している八十代の祖母がいたずらで孫を弾丸訪問し、反応を楽しんでるのかと思った。
「おまえはどうあれ私は魔女なのさ、いつの世もね。そら」
目の前の小汚い女が懐から何か取り出し、私は声を飲み込んでぎょっとする。軽いめまいを起こした胸の前、携帯電話並みの大きさでロココ調の装飾が施された長方形の硝子──鏡が私を見ていた。
「これでおまえの毒から護られるんだよ」
妙に楽しげな声を残して鏡ごと消えた魔女、最後に顔を上げた私を硬直させたのは彼女の深く蒼い全てを知っている瞳だった。
らららと今日の電話が鳴った。
数々の忘れたい一瞬一瞬を断ち切って電子音が私を呼ぶ。近頃は掛けづらくなっていた学生時代の親友だった。
「ねえ、彼──、かっ、彼ずっと、行方不明だったけど……、何年も前に、ひっ、見つかって──、白骨……、した人が、身元……」
泣いて鼻をすすって泣いての訴えが私の頭を真っ白にする、でもそんなに動揺すること? 私には関係ないもう無関係。確かに死んだのは私が一目惚れして声を掛けた相手らしいけど、もうとっくに忘れたんじゃなかった? これまでの五人とは別の、私の恋を丁重に断った彼は今私と話しているこの女とつきあい始めたのだから──。
私はいつ切ったか分からない白い端末をお腹に抱いて絨毯に座り込んでいた。あの長身で親切な男性、早々に姿が見えなくなったため別れたと思っていたが、行方不明だとは知らなかったし彼女がこうして泣くほどまだ想っていたとは。それともこれが普通の女性の恋なのだろうか。
おや? 上の階から無機質な落下音が届き、私は静かに立ち上がって今度は自分が携帯電話を落とした。わき起こった不安が膨張する。私、不幸を呼ぶ女。女としてつきあった男が五人中四人死に、つきあわなかった男も一人だけ命を落とした。私が魔女みたい、ため息も出ない。
あああ、何を怯えてるんだよ。服の上から身体を抱く私は目を瞑って暗黒の世界に逃げ込む。蒼空を舞うのは死ななかった男、私に殺された四人と一人の男たちが真っ暗な地獄からうつろな目を宙に向けている。嫌だ嫌だと瞼を下ろそうとして閉じていることに気づく。全ての死と死ななかった過去に関係があるとは限らないけれど、もし強大な関係性が介在しているとしたら彼らはどうしてその羂にはまったのだろう。
私は重い頭を振り回す。まずつきあった五人の中で一人だけが助かった理由は何なのだろうか。ホラー映画なら魔性の女がベッドで獣と化して地獄に導くところだが、別れたあいつとの間にだってことはあった。喧嘩しすぎて私の〝魔力〟が弱まったとでもいうのか。逆に一人だけつきあわなかった男──私とその彼にのみ起きた事件があるとしたら、
「いたっ」
硬い物体を踏んだ痛みではっと我に返る。目を開けた先には白い携帯電話。彼に電話した? いやいや私が彼にやったのは〝逆ナン〟、声を掛けただけ。ああここでもナンパ!
うん? ナンパといえば、初めての経験でその気になったら本性は最悪な男が──、
待って、考えてみれば私がナンパを受けたのは浮気男の一度きり。私に声を掛けた一人は死なず、その逆はつきあわなかったにもかかわらず死を迎えた。交際中に死んだのは四人とも私からつきあってくれと頼んだ男で、つきあわずに死んだ男は私のお願いを拒んだ。
うわあ、そういうことか。そうなんだ。
「死んだ人にはみんな私が──」告白してた。
私は、私は……、胸をざわつかせて両手で頭を抱える。私は人生で告白した五人の男性だけを確実に殺してきた。暑い、熱い。汗にまみれた顔を起こせばそこは魔女と鏡が消えた玄関。くそっ、今度はもう一段意識を明瞭にした私を部屋に戻すものかと起こる異変。心と身体が遠方の大地震のようにゆらゆら揺れ揺れて──私の震える瞳に映ったのは、
私が見たのは、
自分が二つに分かれる瞬間だった。
私。私。
私と私。私と私。
もう一人の私? もう一人の私? 違う。違う。私、私──、
まるで鏡。私私は同一性を維持したままそっくり二つに増殖していた。一人であり二人──私私は恐怖よりも興味で見つめ合い、
「「うわああっ」」
二人同時に声があふれる。全く同一の声色、言葉そして顔、どちらの私私も私私なのだ。私私が精神が肉体がぽっと昂った。
好き?
ああ私私を包む哀しいくらいのときめき、臆病で出せなかった十代の激情のよう。好き。最高だけど最悪な〝好き〟、何ということだ。身体中が甘くしびれ、魔法にかかったみたいに自分を好きになっている。
──これでおまえの毒から護られるんだよ。
蘇る台詞、そうだ魔法にかかってるんだ。間違いないこの場所であの魔女のせい、鏡で魔法をかけられた。自分自身に惚れるなんて不可思議な、きっと世界いや宇宙で一番神秘的で迷いのない恋。私私は突き進み危険を冒そうとしている、これも魔法? だめ、口を開いちゃ──、
「「あの、えっと、あなたのこと……」」
うわああぁぁっ、猛烈な毒を持つ私私は告白しちゃいけない。絶対に告白してはいけない相手に、私私を自分自身を殺してしまう。好きが止まらない!
「「本当に、あなたのことが好きなんです」」
私は素敵でかわいらしい女性に告白し、力を失ってその場にへたり込んだ。やってしまった。ああ。
聞こえるのは熱と鼓動。もう一人に戻っている。死ぬのはいつ? そこまですぐじゃないけど死ぬ。気持ちいい。